「友のために自分の命を捨てよ。」
2025-05-15


友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。(ヨハネによる福音書 15:13)

"Greater love has no one than this: to lay down one’s life for one’s friends."

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イエスの弟子たちに対する教えの1つです。

単なる友情のレベルを超えた、隣人愛の実践として、友人を自分のことのように愛せということです。家族や身内以上に、本来、赤の他人のはずの友人への隣人愛が重要なのです。

人類社会が発展したのは、家族主義や身内主義の範囲を超えて、血のつながらない人々の間で、強固な信頼関係を持つことができたからです。このような友情という感情は、動物にはない。

今の世の中でも、友人関係で救われたという例は多い。家族に言えないことでも、親友になら相談できる。社会への不満や制度の矛盾に対する怒りも、友人を通して仲間を広げ、解決策を見出すこともある。逆に、人々を分断し、友人や仲間を増やせないようにするのが、悪の権力者の常套手段です。(冷戦時代の東ヨーロッパでは、反体制者を密告することが奨励されていた。そのような、防諜関係に従事していたのが、今のロシアの大統領のプーチンです。)

極端な場合には、友情のために命を懸けなけねばならない場合がある。歴史上、紛争の絶えなかった欧米では、友情の価値が評価されている。先の第二次世界大戦でも、ナチスが追求するユダヤ人を、友情から命を懸けて匿ったキリスト教徒もいる。また、黒人が奴隷にされていた時代に、黒人への友情から、彼らの逃亡を助けた白人もいる。彼らは、このイエスの言葉に従っていたのです。今でも、キリスト教会はホームレスなどに、友情を示し援助することが、当然とされている。(日本のキリスト教会でもホームレス支援をしている教会は多い。駆け込み寺的な、役割を果たすのが、教会の本来の使命でもある。貧しい人は、教会の友人なのです。)

エリートや富裕層は友人を必要としない。ただし、偽りの友情で結びつく者は多い。互いに相手を軽蔑しながら、表面上は友人同士を演じるのが普通です。むしろ、貧しい人の間で真の友情が見られる。苦境に立ったときに、本当の友情で救われる人も多い。しかし、そのような貧しい人に友人を装って近づき、相手を騙す犯罪者も多い。エリートや富裕層は、他人を信用しないので、むしろ、詐欺にかかりにくい。善良な貧乏人が詐欺の犠牲になることが多い。

それでも、友情の価値を理解しているのは、貧しく底辺の人間です。社会的な立場の弱い人ほど、真の友情の価値を知っている。富裕層、エリートや、上流階級になるほど、偽りの友情が増える。だから、友を選ぶなら非エリート、非富裕層を選ぶのが正しい。ただし、イエスの弟子がカネでイエスを裏切ったように、友情を裏切る人間もいることを忘れてはいけない。

聖書には書かれていないが、イエスへの友情から命を懸けてイエスを守った人もいる。また、死刑にされたイエスの死体を引き取るという勇気のある行為を行った当時の金持ちもいる。弟子以上にイエスを愛していた人もいたのです。家族や身内は、一族の利害を第一に考えるが、真の友情は損得抜きという常識を超えた覚悟を伴う。友人を自分のことのように大切にするからです。

今も、社会の弱者に必要なのは友情です。母子家庭やDVを受ける女性、貧困女性たちも真の友人がいれば、救われることが多い。また、経済的に行き詰まり、金融機関の融資が受けられなくなっても、無償で経済援助をしてくれる友人に助けられる例もある。例えば、漫画家の手塚治虫が、プロダクションの経営に行き詰まったときに、大阪の手塚ファンの事業経営者が助けたという話はよく知られている。

今の世の中ほど、理屈や利害を超えた友情ほど価値のあるものはない。世の中で、一度は苦境に陥っても友人に助けられたという例は、表に出ないが結構、あると思われる。


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