「あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない」 (Neither can you bear fruit unless you remain in me)
2026-03-07


わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。
2 わたしにつながっている枝で実を結ばないものは、父がすべてこれをとりのぞき、実を結ぶものは、もっと豊かに実らせるために、手入れしてこれをきれいになさるのである。
3 あなたがたは、わたしが語った言葉によって既にきよくされている。
4 わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない。
5 わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。(ヨハネによる福音書 第 15 章)

5 “I am the true vine, and my Father is the gardener. 2 He cuts off every branch in me that bears no fruit, while every branch that does bear fruit he prunes[a] so that it will be even more fruitful. 3 You are already clean because of the word I have spoken to you. 4 Remain in me, as I also remain in you. No branch can bear fruit by itself; it must remain in the vine. Neither can you bear fruit unless you remain in me.

5 “I am the vine; you are the branches. If you remain in me and I in you, you will bear much fruit; apart from me you can do nothing.
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イエス・キリスト様がご自分をブドウの木にたとえられたという説教です。そして、信徒はその枝であると言われた。枝は木の本体と結びついていなけば、実を結ばない。

そして、信徒はイエスと結びついていなければ、「何一つできない」と述べられている。

これは、霊的な言葉です。人間としては、誰もが自由な心で行動は出来るが、その心を生み出しているのは霊なのです。そして、霊界から信徒の心に霊的なエネルギーを与えるのが、イエス・キリストなのです。

神様の思いにそった形で霊的エネルギーを得なければ、信徒は神様の思いに沿ったことはできない。そして、人が神様の霊的エネルギーを得るのは、イエス・キリストの助けによるのです。

霊が自由に活動しても、神様の教えにそった動きとはならない。神様の作られたルールに則って動かなければ、有効な働きは出来ない。自動車が、信号を無視して勝手に走り回っても有効な交通手段とはならない。神様の作られた交通規則に従って動くには、交通警察の役割を果たしているイエスの指示に従って動かなければならない。

要するに、霊は自由に動き回れるが、イエス・キリストと繋がっていなければ、意味のある行動をすることはできない。木の枝は、木の本体から栄養を得て生きる。本体を忘れて、枝だけで生きようとしても無理なのです。

人間は、先祖からの家系の中に生きて、さまざまな伝統を受け継いで生きていくことができる。根無し草のような生き方をすれば、人生の方向性も与えられず滅茶苦茶な生き方になる。だから、祖先を大事にすることが求められのが、人間の生き方になる。

その祖先様より大事なのが、霊的な威厳を持っているイエス・キリスト様なのです。

キリスト教という2千年にわたって成長してきた大木の枝になってこそ、人間は有意義な実を結ぶことができるのです。

逆に、悪魔につながれば、全ての実は腐敗し、暗闇の中で人間の魂は消えてゆく。これが、恐れるべき無の終末です。

神様の大木につながれば、愛と信仰の光の中で、永遠の命を得ることができるというのが本当の霊的なキリスト教なのです。
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