2025-06-07
“He replied, ‘I tell you that to everyone who has, more will be given, but as for the one who has nothing, even what they have will be taken away.
『あなたがたに言うが、おおよそ持っている人には、なお与えられ、持っていない人からは、持っているものまでも取り上げられるであろう。」
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これは、イエス・キリストが、弟子にたとえ話をして、ある農園の主人が旅に出たときに、二人の召し使いに農園の管理を任せたと話したときの言葉です。その主人は、召使のそれぞれに管理費を与えたが、一人は農園の管理費を経済活動に活用して資産を増やし、主人が帰ったときに利益も含めて主人に返したが、他方は管理費を失わないように、ただ保管して資産を増やさなかった例をあげて、資産を増やした召し使いをほめ、カネをただ貯めこんでいただけの召し使いを非難したあとに、教訓として語った言葉です。主人は、後者から管理費を取り上げ、前者に与えるということです。
「持っている者は、さらに与えられ、持たない者は、持っているものまで取り上げられる」、というのは、厳しい言葉です。ただし、これは現実の経済問題だけでなく、霊的な意味も持っています。神の教えを与えられても、その教えを活用せず、ただ、自分の心の内にしまい込んでいる者は、神様から教えと共に与えられた恵みも取り上げられる、という意味です。
経済的には、多くの資産を与えられても、貯蓄だけに回し、世のために何ら支出をしなかったものは、やがて、その資産を取りあげられる、という意味になる。だから、カネを抱え込むだけでなく、さらに投資や開発などに使うべきだという意味にとって、さらに経済活動を活発にする人間は、資産倍増などの金銭的目的ではなく、世のために経済活動を活性化する目的であれば、この言葉に適っていることになる。欧米で資本主義が活性化した理由の一因になっている。
しかし、霊的には、神様から与えられた恵みを、自分だけのために持っている人間は、「人々を助けよ」という神様の精神に対する理解を持っていないことになる。神様から与えられた才能を、神様の教えに従って使わない者は、その才能を取り上げられることになる。逆に、神様から与えられた才能を活用して、世のためや人のために活動した者は、さらに才能を高められ、多くの幸運も与えられる。
例えば、ある若者が大学の神学部に進み牧師となったが、信仰は自分の生活を救うためだけに使い、神様の教えに従って、周囲の貧しい人を救おうとしなかった場合、神様はその若者から信仰による恵みも取り上げられる。また、美人に生まれた女性が、自分の魅力を自分の幸福のためだけに使い、周囲の不幸な人間を明るくするために自分の魅力を使わなければ、神様はその魅力も取り上げられる。
また、スポーツの才能を与えられた者も、自分の成功のためだけにその才能を使っていても、やがて、その才能はなくなる。しかし、世の中の人を励まし、勇気を与えるために、自分の才能を全力で伸ばす努力をしていれば、その才能はいくらでも伸びる。
学者も、その学問的才能を自分の社会的成功のためだけに使っていれば、やがて才能は失われ、無意味な人生を送る。しかし、学問を世のため、人のために役立てようと活動していれば、才能はなくならない。
問題は、利己的な意味で、与えられた幸運や才能を使ってはいけない、ということです。ただし、管理費を貯めこんだままにしておいた悪い召し使いのように、何もしない場合は、利己的な活動をする方より厳しく罰される。利己的な活動でも、その活動によって救われる他人もいる。ただし、その活動が人々に害を与える場合は、神様によってもっと厳しく罰される。
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