2025-04-06
「あなた方は、世の塩ある。塩が塩味を失えば、再び塩味を取り戻すことはない。塩味を失った塩は何の役にも立たず、投げ捨てられ、人に踏みつけられるだけである。」
You are the salt of the earth. But if the salt loses its saltiness, how can it be made salty again? It is no longer good for anything, except to be thrown out and trampled underfoot.
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キリスト教の信者は、道徳的で模範的な人間だ、という評価を受けている。
悪魔の影響下にある世の中で、欲を出さずに、他人に親切で、弱者に同情的な人々だと思われている。
しかし、悪魔はそういうキリスト信者の心にも入り込み、いつのまにか、傲慢、腐敗、堕落へと導く。そうなると、世の中は手のひらを返し、最大限の侮蔑を示し、攻撃し、踏みつける。堕ちたヒーローは、世の中の物笑いの対象となる。
だから、いったん信仰への道を進み始め、精神的/霊的な修業を始めたら、再び、昔の生き方に戻ってはならない。
信仰者や修行者として成功するか否かは、問題ではない。神様を目指して進むこと自体に意味がある。その姿が、「世の中を清める塩」となる。
しかし、悪魔の誘惑や攻撃はやむことがない。蟻の一穴からでも悪魔は、入り込む。だから、「常に目覚めて、神様に祈れ」と、イエスは教えている。
世の中で成功した今の宗教者でも、物欲を捨て、カネを避け、個人的な利害を捨て去った人間は、ほとんどいない。彼らの真実の姿が世の中に知れれば、彼らは人々に軽蔑され、捨て去られ、落ちたヒーローとして踏みつけられる。
キリスト教会でもスキャンダルで聖職者が教会から追われることがある。仏教や神道では、この世的な成功や名声が、当然のことのように重んじられている。悪魔は、宗教界にも入り込んでいる。
この世は、悪魔の影響下にあるが、人間は本来、霊格を高め、神様に近づくことの価値を知っている。だから、その方向に進む信仰者や修行者を尊敬すべきことは、本能的に理解している。
ところが、信仰者や修行者がインチキ野郎だと分かれば、世間は手のひらを反す、昨日のヒーローが、今日は詐欺師だと罵られる。
ここに、信仰や修業の厳しさがある。途中で信仰や修業をやめれば、清めの塩が、汚しのゴミとなる。だから、富やカネを捨てる生き方を始めたら、再び、物質的豊かさを求めてはならない。
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